2011年08月08日

聖霊のバプテスマ「信じたとき、聖霊を受けましたか。」

聖霊のバプテスマ「信じたとき、聖霊を受けましたか。」

「水のバプテスマを受け聖霊のバプテスマを受ける」
使徒の働き 2 38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

「水のバプテスマと聖霊のバプテスマは別」
「信じて水のバプテスマまで受けたのに、聖霊を受けていない例」
使徒の働き 8 15 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。
使徒の働き 8 16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。

「水のバプテスマを受ける前に受けた聖霊の例」
使徒の働き 10 44 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
使徒の働き 10 45 割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
使徒の働き 10 47 「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」

「信じていても聖霊を受けていない例」「異言、預言」
使徒の働き 19 2 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
使徒の働き 19 6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

「イエス昇天後、イエスが遣わす聖霊」
ヨハネの福音書 7 39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
ヨハネの福音書 16 7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

「信じる=聖霊を受けた?」
コリント人への手紙第一 12 3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。

※口先だけの告白でなく、心からのもの、殺されるとしても告白する信仰
※聖霊の内住と感化の違い

上記のいくつかの例から、信じても聖霊を受けない事もある事を確認しました。多くの教派では「信じる⇒聖霊を受けた」と教えます。“聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。”とあるからです。しかしこの聖句だけでそう主張するには根拠が弱いのです。

なぜならここでの告白というのは、殺されるとしても信仰を告白できるレベルを述べている可能性があるからです。ダニエルやパウロの信仰のレベルです。

もう1つは、“聖霊によって語る”=“内住の聖霊を受けた”とは言えないということです。旧約時代にも多くの人が聖霊によって語っています。

ペテロの手紙第二 1 21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

しかしイエスは“わたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。”(ヨハネの福音書16:7)と言われました。

イエスが天に昇る前にも多くの預言者が聖霊を受けているのであれば、何故イエスは“わたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。”などと言われたのでしょうか?

詩篇 51 11 私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないでください。

またダビデは“聖霊を、私から取り去らないでください。”と祈っています。

しかし聖霊は一度内住されたら去ることはありません。聖霊は保障だからです。保障の聖霊が去ることもあるとしたら、保障が保障でなくなってしまいます。
「聖霊は保障」
エペソ人への手紙 1 14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

つまり人々はただ単に聖霊の影響を受けることがありえるということです。その事と聖霊の内住を分けて考えなければなりません。

その上でこの質問に真摯に答えてみてください。
「信じたとき、聖霊を受けましたか。」

答えがNOや不明であるならば、だれにでも惜しみなく分け与えてくださる父に求め祈れば良いのです。

あの有名な聖句“求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。”は聖霊を求めよというコンテキスト(文脈)の中で語られたという事を知っている人は意外と少ないようです。

ルカの福音書 11 9 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
ルカの福音書 11 10 だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
ルカの福音書 11 11 あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
ルカの福音書 11 12 卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
ルカの福音書 11 13 してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

そうです!!求めさえすれば、聖霊はイエスを信じる全ての人に与えられるのです。しかし残念なことは、「信じる=聖霊を受けた」という教義の故に、人々が聖霊様を切に求めない事なのです。
posted by じゅん at 10:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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