2011年03月03日

神様の御名とは?(要約)

 知っているようではっきりしないのが、神様の御名です。旧約では「エホバ」「ヤハヴェ」「主」「アドナイ」『わたしはある。』などと表記され、新約ではイエス・キリスト・父・子・聖霊として顕れました。それについて皆様の理解が良く整理されればと思い、この文を書かせて頂きました。まずは要約を読んで下さり、さらに興味がありましたら本文をお読み下さい。


<導入> イエス様は父の名を明らかにした?
ヨハネの福音書17:5-6
 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。
ヨハネの福音書17:25-26
正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。


 イエス様はこの箇所で「父よ」と呼びかけ、そして「あなたの御名を明らかにしました。」「あなたの御名を知らせました。」と語られました。つまり父の名を明らかにしたと言われたのです。しかしイエス様は一度も、「父の名は何々である」と語っていません。これはどういうことなのでしょうか?

 皆さんは父の名を御存知でしょうか?旧約聖書を見ると、「ヘブル語の4文字」が神の名として書いてあります。発音の仕方が分からないので「エホバ」「ヤハヴェ」「主」等と表記されます。他にも「アドナイ」「主」『わたしはある。』(出エジプト3:14)等々を思い浮かべると思いますが、これらが真の父なる神の御名でしょうか?だとするとイエス様がその名を知らせたと言っているのに一度も出て来ないのは何故でしょうか?そして「明らかにした」といことは、それまで分からなかったり知らされていないからこそ明らかにするのではないでしょうか?既に旧約聖書で明らかにされている名を更に明らかにすると言うのはのは少し変ですね。これらの問いに一つの仮説を立てたいと思います。<父子の名>

ヨハネの福音書5:43
わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。

ヨハネの福音書10:25
イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。

 イエス様は父の名によって来、父の名によってわざを行っていると語っています。そして決定的なのが次の箇所です。

ヨハネの福音書17:11-12
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。〜

 ここで一番重要なのはこの所です。「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名・・・」と書かれています。どうかこの節全体の内容をじっくり読み考えてみて下さい。どういう意味でしょうか?わたしとはイエス様です。そしてその名は父が下さった父の名だと言うのです!!KJVでは”thine own name”(訳 あなたの自身の名前)とあります。子が賜った名前はイエスです。つまり父の名はイエスでありその名を父が子に与えたと読めるのではないでしょうか!「父なる神の名はイエス!!」これこそまさに、イエス様が明らかにした父の名だと言うのです。
 
 しかしこの一カ所だけとってそう解釈するのには違和感を覚えるかも知れません。聖書の他の箇所も見てみましょう。


<バプテスマ-父子聖霊の名>

マタイの福音書28:19 
(新改訳)それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け

 この箇所を取って現代の教会は「父子聖霊の名によって、、、」と宣言しながらバプテスマ(洗礼)を授けます。しかしこの箇所は父子聖霊と言って授けなさいと言っているのではなく、その名によって授けなさいと言うのです。父というのは名ではなく、位格です。子も聖霊も同様です。名ではありません。
 例えば未成年者が何かの契約書を書く時、お父さんの名前を記入する欄があったらそこに「父」と書くでしょうか?又、誰かにお子さんの名前は何と言うのですか?と聞かれたら「子です」と答えるでしょうか?しっかりとした実名を使うでしょう。 神様にも名前があるのです。イエス様はヨハネの福音書17章6節と26節で「父の名を明らかにしました。知らせました。」と語っておられます。その名でバプテスマを授けなさいと言うのです。ではその命令を受けた使徒達はどうしたでしょうか?使徒行伝を見てみしょう。

使徒の働き2:38
そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
使徒の働き8:16
彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
使徒の働き10:47-48 
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。
使徒の働き19:5
これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

 どうでしょうか?はっきり書いてある所だけでも4カ所もイエスの名でバプテスマを受けた。と書いてあります。子の名がイエスだと言うことはご承知の通りですが、マタイ最後のの至上命令を受けた弟子達は父の名も聖霊の名も忘れてしまって子の名だけを使ったのでしょうか?
 そうではなく父の名がイエスだということを弟子達はイエスの言葉と聖霊の感動により知っていたからこそ、ただイエスの名でバプテスマを授けたのではないでしょうか。もし父の名がエホバの証人の方々が主張するように「エホバ」であったり「ヤハヴェ」「主」「ヘブル語の4文字」「アドナイ」「わたしはある。」etc であるなら、例えば「エホバとイエスと聖霊によりて、、、、」と言ってバプテスマ(洗礼)を授けたのではないでしょうか。しかし聖書のどの箇所にもそのような事例はなく、ただイエスの名によってバプテスマ(洗礼)を授けています。
 さらにもう少し付け加えるなら「父子聖霊の名によって」と記してある「名」とは原語で単数形です。つまり三つの名ではなく一つの名なのです。そしてその名は使徒行伝やヨハネの福音書はイエスだと語っています。

 このように御名について検証をしてきましたが、読んでいる人の中には「なぜそんな解釈に奔走するのか?」「そんなことよりも神様に対する愛とか、心の方が大切だと思う」と言う方もいるかもしれません。しかしこの御名というのはとても大切なのです。
 イエス様が弟子達に教えた「主の祈り」の中で一番最初に出てくる一番大切な祈りが『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように』です。それなのに私達が父の名を知らなければ、どのようにして御名をあがめることができるのでしょうか。

 以上はなるべく短くまとめた要約です。さらに興味を持たれた方は本文へお進み下さい。
posted by じゅん at 06:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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